二〇二二.〇一.二十四 [記]

17 October, 2023
And just like thatのCheDiazの言葉で年始身体に鈍痛が走り、ここ最近の頭皮と頭蓋骨と脳味噌のズレみたいなものがするする〜と溶けた

確信するより混乱していた方がいい
確信していたらなにも変わらない

ずっと確信を増やして行きたいと思って来た。
私にとっての確信というのは、完全に宇宙バランスの中に自分の身体のピースがカチっとはまってわかってしまう確信と、自分が体験したこと/ 感知した感覚を、特に古典的なもの(本、音楽、芸能)に触れた時に照らし合わせることができてからようやく確信に変わるもの、とがあるようで。

この確信たちが増えれば増えるほど、踊りの再現性は高くなると信じて疑っていなかったし、心のどこかでは早くこれらを集めてしまえば、終わる、終えたいと思っていた。
-これはこうあることが正解です、間違っていません、体のポジションはここに決まると綺麗です

その"確信"に出会うまでは、探し、味わい、都度出す足一歩、体重移動、頭の位置、指先への流動、感じることを身体は当たり前にするのに、
私の盲点は、それがカチっとした瞬間にその冒険を、身体的フィールを、やめていたことで。

身体感覚や感情記憶の冷凍保存癖。
"あの時"の気持ちよさ、感動を私に再現させようとするのはもう辞めたい。

本番前日、年末最後の個人レッスンで、師匠に言われた
"貴方はどこに向けて踊っているの?"
という問い。

"向けて"というのは、自分の内側のどこに向けている?という意味らしく、彼女の踊りに温かい温度を感じる理由が、ようやくわかった。
直ぐに自らの内側にやわらかい光を注ぐ彼女の踊りが頭に絵になった。
その矛先は、直ぐに見つかるわけではないけれど、漢字1文字にしても良いし、自分がわかるものなら何に喩えても良いから、それを探しながら日々踊り、人前に立ちなさいと言われた。

そもそもが、身体の内側への集中はあっても、私はワタシに向けて優しく踊ったことがなく、そんなものが存在する事すら衝撃であった。
"自分のために躍る"という意味ではない、今回問われている件は明らかに違う。
自分のために躍るは独りよがりで気持ち悪いからと、避けて来たが、多分ここで言われている事は

【自内のホーム.Core.中心に常にいますか?そこにも貴方の意識を敬意を持って優しい方法で注ぎ続けなさい】

だと解釈した。

それにしても、"それ"を探すにはまず、年末の多忙期で鈍り腐りきった感覚が重荷すぎる。
お正月休みを利用して、史上最悪のコンディションを作り上げまたゼロから感度スイッチを構築させようと思った。
動物性の食べ物も添加物も小麦も解禁、一切動かず、ストレッチせず、トレーニングせず、踊らず、踊りたくなってしまうような音楽も遮断。

身体のむくみ、呼吸の循環の悪さ、神経の詰まり、全てコンプリートし、ものの見事に、体調を崩した。本当にわかりやすい身体で有難い。

仕事始めの1日前に一人でスタジオに入り、新しく迫り来る感覚を存分に味わってみて、感じた事は、
やはり本当の安らぎは、身体の繋がりと共にあること。
物理的に身体を休ませていた状態よりも、神経が繋がり身体の感覚が目覚めていた方が、自分の心身が安らかに在れる場所が明確。
新しくコンセントに繋ぎ直した身体は、自分が何に守られていて、どこに居るかが常に感知できた。

意外にも常に混乱し、探し続けていた方が、調子が良い。
そしてきっと、もっと無意識というものを信頼していい。
精神の大枠だけを統制しておいて解放のエネルギーを内側に渦巻かせておくこと。

冷凍保存せず、人や人が作り出すもの一切の、はかなさを受け入れること。
自分でコントロールできないものがあるという事実を受け入れること。

茨木のり子さんの言う、頼りない生牡蠣のような感受性も信頼していくこと。

なんでも受け入れることを待機している身体・器でありたい。
精神的にも、身体的にも。
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